(google earthでピクサー本社前にいるルクソーさんに会えます♪)
この「カーズ」シリーズを始め、
人気シリーズを次々と世に送り出している
「ピクサー・アニメーション・スタジオ」
大野くんの旅もいよいよ大詰めです。
まず、
社長のエド・キャットマルさんのお話を聞きます。
ルーカスフィルム社がつくった
コンピュータ・アニメーション部門を
iPhoneの生みの親と言われる
故スティーブ・ジョブズさんらが
買収・独立させたのが「ピクサー」でした。
エドさんには、
人生におけるヒーローが2人いて、
アインシュタインとウォルト
だそうです。
「トイ・ストーリー」の成功まで20年かかったエドさんは
達成感に次いでやってきた虚無感に悩まされました。
しかし、「ヒーロー」ウォルトの生き方に脱出のヒントがありました。
「世界にポジティブな影響を与える映画を
作り続けるのみだ」
と再び歩み出し、
その後の活躍は
作品となり、私達もよく知っているところです。
ウォルトの死後、
芸術が一番重要であるという考えが進み、
作品の質が低下しました。
ウォルトは技術力の重要性をわかっていたのです。
芸術が技術を高め、
技術が芸術を更に高みへと導くと。
現在、
それを一番体現しているのがピクサー社なのかもしれませんね。
ピクサー社で活躍する日本人の方もいらっしゃいます。
小西園子さんは入社18年目。
新作「メリダと恐ろしの森」に
登場するキャラクターの
髪の毛の作り込みを紹介してくれます。
堤大介さんは
「トイストーリー3」の
アートディレクションを担当された方です。
「ウォルトは前例が無いことに挑戦し、
失敗に失敗を重ねてきた。
今、失敗を許さない社会になってきている。
これは日本もアメリカも。
リスクを考え過ぎて怖がり、挑戦しづらくなってる。
これではいいものを作れない。
ピクサーも考えていかなきゃいけない。」
そう語った堤さんに、
大野くんも
「取材の中で出会ったディズニーの人達は皆、
失敗を恐れず挑戦し続ける精神を持っていました。」
と続けます。
挑戦を続けたウォルト、
1964年につくった
「メリーポピンズ」では
アカデミー賞を5部門も受賞しました。
壮大な
「ウォルト・ディズニー・ワールド」構想
にも着手していましたが、
病が発覚し、その1ヶ月後、
1966年12月15日、65歳でこの世を去りました。
メインストリートUSAのウォルトのアパート。
机の中に残っていたものがあります。
それは「蒸気船ウィリー」の台本です。
彼は、名もない青年の頃の気持ちを、
忘れていなかったのです。
取材を終えての大野くんの感想。
「ウォルトは
誰だって見たことがあるような
近い存在であるネズミから、
ミッキーというキャラクターを作り出した。
これは誰にだって可能性があるんだよ
ということを伝えたんじゃないかな。」
「ワクワクすることやりたいんですよね。
趣味とか。
仕事で忙しくてできない時も多いけど。
ただ「忙しい」で終わらせずに、
「想像」ならできるなと思います。
今は無理だから想像だけしとこう、みたいな。
後々やる時の為に。」
もてくも今回改めて、
ウォルトの人生、
ディズニーの歴史と今を知り、
非常に勉強になりました。
諦めずに、今を一生懸命生きることが大切ですね。
その先の未来を信じて。